白瓜

何じゃこりゃ〜?!

今朝、隣の畳屋のとーちゃんが、「これ食ったことあるか?」と持ってきてくれたんだけど、「食ったこと無いけど、何ですか〜?👂」と聞くと、白瓜(しらうり・しろうり)だそうで、子供の頃は「梨瓜(なしうり)」と呼んでたって。ほんにまあ、昔の人は物知りだのし。

そういえば、きのう、星と森の詩美術館の帰りに、中学時代の恩師で彫刻家の藤巻秀正先生と館の周りを散策したところ、数歩進むたびに足を止め、其処此処に生えてる草を摘んでは、これが何だとかかんだとか、あまりに詳しいもんで、「先生、何でも知ってて物知りですね!」と言ったら、「いや、物知りなんじゃなくて、覚えさせられたんだ」と。昔は子供にも、どの草が何という名前で、食べられるかどうかまで教えていたらしい。昔の人たちの方が、生き残る力も生命力もあったわけだ。
もちろん今でもサバイバル能力に長けた人はいるわけだが、今や子供たちはおろか、この歳の自分でさえ、食べられる草や山菜キノコの類と、食べられないそれとの区別などさっぱりつかない。一方で、今また色んな意味で、個体としても集団としても、生き残るための能力が求められる時代になってきているように思われるのだが、どうか。

それにしても、この白瓜の形、色味ともに面白く、しばらく繁々と眺めていた。お前も生まれ育ち、サバイバルして、今ここに個体としてあるのだな。そして食べられることで、その形は霧散し、この世界から姿を消す。思えばいつしか霧となって消えゆくのは人も同じ。そう思うと、白瓜の一つさえ、何か愛おしく思えてくるのだ。