みなさん、こんにちは。
今日は、書家・現代美術家の山本尚志さんの書芸術の本質に関わる小論にかけて、ちょっと突っ込んだ話をさせてもらいます。書に興味関心がある方には、プロ、アマを問わず、ぜひご一読いただけたらと思います。
毛筆による書は、古より、用美一体、すなわち実用としての役割と、美術的な要素の双方を兼ね備えたものと見なされ用いられてきたわけですが、ワープロの誕生とAIの急速な進化によって、字を書く機会、ましてや毛筆で書く機会は、のし書きや年賀状、芳名帳への記帳くらいに限られ、書道人口も年々減少しているのが実情です。
そんな中で、書壇(競書誌や展覧会の開催によって運営されている日本の書道界)のコミュニティーとは別の形で、書の持つ独自の芸術性に着目し、現代美術としての書表現を求め、世に問うていくことで、世界の美術史に新たな潮流をつくり出そうとする芸術運動の波が起こっています。いや、起こっているというより、起こされているわけですが、その仕掛け人が、書家・現代美術家の山本尚志氏であり、先のブログでも紹介させていただいた通り、ART SHODOの一連のプロモーション活動を通して、自身の芸術のさらなる進化と、若い作家たちの育成に心血を注いでおられます。
山本尚志 『目と目 』 2023年
その山本尚志さんによる、書芸術の本質に関する小論を、氏のSNSよりシェアーさせていただきましたので、ぜひご一読いただき、皆さんからも、あらためて、書とは、書芸術とはなんぞや、と考えてみていただけたらと思います。
(以下、山本さんのSNSに掲載された小論より)
書がいいのは、自分でもどうなるのかわからないところ。不確定なところが良いと思ってて、今回のこのバカバカしいのも、紙一面にスーパーカーを書いていて、「オレはいったい何をやってるんだ?」と思うことしきり。芸術もクソもなくなる。紙面の中をただ動くのみ。モチーフがあり、それを踏まえてただひたすらに動くわけ。
例えば「犬」という文字があるとしたら、それは横画を最初に書いて、おしまいに点を打つまでのアクションがそこで展開されるわけだが、今回のこの「目と目」の場合も、リトラクタブルヘッドライトの「画」を書いた後に「目」、それを二つ書き(=描き)、ボディとタイヤを書いて、そこから光の部分を書いておしまい。途中から、何やってんだ?と思いながらオートマチックな作業が続く。
それってどういうことかと言ったら、これは一つの文字のような、「予め定められた一連のアクションの集積」であるということ。それが書なのだ。
それをやっている。やったからなんなのだ?と言われるかも知れないが、それをただずーっと自分の書として、33年、同じ手法でやってきた。その上にこの作品があり、レディメイドとは、そこで結びつくのではないかと考える。
つまり、そこに何か(レディメイド)がある。で、「これは何ぞや」と問う。「これは泉だ」「これはブリロボックスだ」と、先達のデュシャンやウォーホルらが「嘘」をついてきた、それと同じように。すなわち、その先に自分の「目と目」があるのである。
これはスーパーカーのライトではない。「目と目」でしかない。子供のときの自分にとっては。その記憶を記した。
だから、書とは全ての記憶を書いている。他の誰かの経験でもなく、それは既に対象ですらない。そこが、対象の再現を目論む「絵画」の基本線とまるで異なるのだ。
一点一画を書くとは、定められた記号をただアクションするのみ。それが書の正体だ。
こちらをお読みいただくことで、私が常日頃から天才バカボン書家と敬愛させていただいている山本尚志さんが、書というものの本質をどう捉え、自身の芸術表現に昇華しているか、その一端なりとも感じていただけたのではないかと。
山本さんが、またぜひゆっくり話しましょうと言ってくれているので、その時をたのしみにしています。
また代表を務めるアートプロジェクト【書芸のリング】が運営する書芸教室でも、今後とも、こうした芸術談義も含めて、さらに深めていきたいと思います。
濃厚にして実に楽しい内容となっており、SOGEN書芸塾の関連の動画の中ではダントツに人気で、一番見られてます。
43分の長編動画ですが、面白くてあっという間に見ていただけると思いますので、まだご覧いただいていない方は、ぜひご視聴ください。