燕市分水良寛資料館にて、良寛ゆかりの書に思う

 

燕市分水良寛資料館にて、良寛ゆかりの人々による書画展を鑑賞。
道に迷って着いたのが夕刻で、閉館間際でしたが、30分ほど、目一杯、見せてもらってきました。

面白いと思ったのが、良寛の弟の由之(ゆうし)と、その息子の泰樹(やすき)と、そのまた息子の泰世(やすよ)の書に見る個性です。
その血筋からか、みな、書が巧みで、特に短冊にしたためられた書など、書道の大家も及ばぬ流麗自在な境地にあり、刮目させられました。
54歳で亡くなった泰世の屏風大書には、良寛とも実父の泰樹とも異なる豪放磊落な趣があり、当時にして、縁者がそれぞれに良寛を慕いながらも異なる書風を打ち立て、自らの書境を求めているところが、またすばらしいと。
亀田鵬齋は、ちょっとクセが強くてカッコつけてるところも感じられて、ダンサーの田中泯のイメージかな?W

そして良寛さん。「李白乗舟将欲行」の漢詩書や墨絵への讃を見るに、やはり別次元、高次元の書境におられると。
長岡良寛会副会長の書友が貸してくださった、曹洞宗宗務庁出版部発行の『禅の風』に、良寛さんが、坐禅もせず、お経も読まず、菜園づくりと炊事当番に徹した仙桂和尚のことを、真に禅を極めた人であると認めていたことが描かれていて、その心が、よく分かる気がしました。というのも、良寛さんご自身が、上から説教したりすることなく、自らの言動、立ち居振る舞い、生き様をもって、仏法の真意を示された方だと思うからです。
書もまた然りで、そこが能書家の書や現代アートとは次元を異にする所以だと思います。
それすなわち、良寛が生涯を通して求め続けた万象一如の世界であると。

時を経て、良寛様との新たな出会いに導いてくださり、そのような想いに至らせてくださった書友、そして良寛様に、いまあらためて感謝するとともに、自分自身、俗人として俗世にありながらも、書芸を通して、一歩なりともその次元に、自身と作品世界を高めていきたいと願う次第です。

 

燕市分水良寛史料館

 

良寛筆による前庭の石碑

 

こちらは1991年に開催された、全国良寛サミットのポスター。
ポスター中の良寛の墨絵をご所望いただき、SOGENが描かせていただきました。

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