8月2日、地元の友人のお誘いで、長岡花火の観覧ツアーのお仲間に入れてもらいました🎆
信濃川の土手からや、ドライブしながら遠巻きに見たことは何度もあるけれど、河川敷の桟敷席で間近に見るのは初めてのこと。
さすがに日本一の大花火、超大型スターマインの連発に、三尺玉にフェニックスと、息もつかせず2時間余り。花火は上がっていく途中、爆発から最後の消えゆく瞬間まで、一瞬一瞬が見所なので、目を離す間もありません。
一昨年出版した拙著『故郷〜魂のふるさとへの回帰 書芸家壯弦ものがたり』でも触れていますが、長岡は自分にとって、学生時代の2年間と教師を辞めてからの3年間住んだ、第二の故郷です。
長岡花火が土日ではなく、毎年8月2日と3日と日を決めて行われているのは、みなさんご存知の通り、昭和20年8月1日の長岡大空襲で犠牲となった人々の魂を安んずるため。4年前に86歳で他界した私の母からも、長岡での女学校時代、13歳でこの空襲にあって、爆弾の雨を避けながら命からがら隣町まで逃げ延びた話をよく聞かされました。母が爆弾に当たって死んでいたら、今の自分も無かったわけで、長岡大空襲や長岡花火が他人事とは思えない所以です。
戦争など、この世界から無くなるに越したことは無いわけですが、いつの日か、人類がそこまでの精神的な進化を遂げることが出来るのか、はたまた共倒れするのか・・・
『世界中の爆弾が花火に変わったら、きっとこの世から戦争はなくなる』とは、長岡花火の絵も遺している山下清画伯の言葉だそうですが、まさに・・・同じ爆弾でも、幸せの爆弾が世界中に投下される、そんな世界を見てみたいです。
戦争に関しては様々な論点があるわけですが、大戦で散った日本の若者たちも、鬼畜米英と罵られた敵国の兵士たちも、けっして野獣ではなく、そこに母国、同胞、家族への愛があったことを思うと、彼らの愛に満ちた魂が安んじられ、またこの世界を平和に導いていくための力たらんと願うとともに、微力ながら人類の成長と幸福に寄与していけたらと思う次第です。
『世界中の爆弾が花火に変わったら、きっとこの世から戦争はなくなる』とは、長岡花火の絵も遺している山下清画伯の言葉だそうですが、まさに・・・同じ爆弾でも、幸せの爆弾が世界中に投下される、そんな世界を見てみたいです。
戦争に関しては様々な論点があるわけですが、大戦で散った日本の若者たちも、鬼畜米英と罵られた敵国の兵士たちも、けっして野獣ではなく、そこに母国、同胞、家族への愛があったことを思うと、彼らの愛に満ちた魂が安んじられ、またこの世界を平和に導いていくための力たらんと願うとともに、微力ながら人類の成長と幸福に寄与していけたらと思う次第です。
SOGENが見た長岡花火2022-8.2
最後に、ちょっと驚いたのが、桟敷席で飲食しながら見ていた何万人もの人たちが去った後、桟敷にも通路にもゴミ一つ落ちていなかったこと。「ゴミを持ち帰れ」などという指示はどこからも出ていないのに・・・これには鳥肌が立ちました。いや、「立つ鳥跡を濁さず」とは、まさにこのことだと。
他人から命令されて、内心嫌々従うのではなく、各自が他の人のため、また公共のために、自然と心身を整えて事にあたる、それこそが、獣とは違う人間の美徳であり、人類の成長進化と幸福のためにも求め高めていくべき資質なのではないか、などとと、花火の潔い美しさに見惚れつつ思ったのでした。
他人から命令されて、内心嫌々従うのではなく、各自が他の人のため、また公共のために、自然と心身を整えて事にあたる、それこそが、獣とは違う人間の美徳であり、人類の成長進化と幸福のためにも求め高めていくべき資質なのではないか、などとと、花火の潔い美しさに見惚れつつ思ったのでした。
SOGEN揮毫『長岡花火』/『Nagaoka Hanami August 2nd and 3rd』/長岡花火筆イラスト
SOGEN揮毫 長岡花火Tシャツ
長岡でも引き続き良きご縁をいただき、書でお役に立たせていただいていることに感謝です。