千の祈り〜続編

 

先の『千の祈り』の投稿を見てくださった、友人で元アトランタ州立大学教授の Junco Sato Pollackさんがメッセージをくださった。
「年が改たまり、気分も新たに お寺や神社にお参りしてお札を頂いてくる日本の習慣は心アラタにする精神的な行事。いいですね。」
確かに、日本は歴史的に神社仏閣に庇護され、今も護られている国。そして、そこは幾百年に渡る先祖先人と今に生きる人たちの想いと祈りの集積によるパワースポットとなっており、初詣は、年頭にあたり、その霊気に触れる中で、祈りを捧げ、力をいただく習慣なのだと。

そういえば、『千と千尋の神隠し』では、「」という字がタイトルに2つも使われている。
「千」は異界に迷い込んだ千尋に湯婆婆が付けた名前だが、タイトルがなぜ「千と千尋」なのか?
知っている人がいたら教えてほしい。
ともあれ、『千の風になって』の歌もそうだが、神界や霊界に関わる物事には「千」の文字が当てられるのは、もしかしたら十字架のようにも見える、そのフォルムからか。いや、それは無いだろうが、先のブログで紹介した菅原晋さんの「千のナイフ」など、あながち墓標のようにも見えなくもない。

「千」は、「千変万化」や「千秋の思い」といったように、数の多いことを象徴する時に使われる文字。
「千本ノック」なんてのもそうで、実際にキッチリ数えて千本というより、めちゃくちゃシゴきまっせ!てな意味で使われるわけだ。
そんなこんなで千に想いを馳せていたせいか、たまたまYouTubeで『千日回峰業』というのを目にして驚いた。千日もの間、比叡山の数十キロに渡る峰を歩き続けるという荒行で、業を成し得なかったならば、その場で自害する覚悟をもって、白装束に身を包み、三途の川の渡り賃である六文銭、埋葬料10万円を常時携行するのだという。
しかも5700日を満行すると、行者は入堂前に生前葬となる「生き葬式」を執り行い、無動寺明王堂で足かけ9日かけて断食・断水・断眠・断臥の4無行に入る。毎晩、深夜2時に堂を出て、近くの閼伽井(あかい)で閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供え、水を汲みに出る以外は、堂中で10万回真言を唱え続けるという。
かくも過酷な業であるが、戦後、14名の僧侶が成し遂げて、大阿闍梨となっているというから驚きだ。

 

掲載動画の光永圓道師は2009年に34歳で満行を成し、北嶺大行満大阿闍梨の称号を得て、現在48歳で比叡山無動寺谷大乗院住職をされているという。

幼少期から喘息で苦しんできた自分は、もし15歳で仏門に入っていなかったならば、長くは生きられなかったはず。ならばこの命を業に捧げようと決意したのだという。
この動画を見ていると、腹一杯食べては動かず、惰眠を貪るばかりの我が身を省みるとともに、心を定め、命をかけて事にあたることの尊さを学ばせていただいている気がする。

ここまで書いたところ、Juncoさんからまたメッセージが。
「歳寄の冷や水 ヒマつぶしと精神修養に写経をしてみました。下手な字で。そして今気づいた事は、漢字はお経を伝えた重要手段である事。今頃やっと書文化の至上な価値に目覚めました。壮弦さんのおかげです。父親にも感謝のお線香あげたり。」
Juncoさん、こちらこそ、いつも学ばせていただいてますよ。
生涯修行。千日回峰行のような荒行までは出来ずとも、書作も含めた日常生活のあらゆる場面が修行の場であると、心新たにしてイキたいと思う年初めです。

 

千日回峰行(Wikipediaより)

千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは、滋賀県京都府にまたがる比叡山山内で行われる、天台宗回峰行の一つである。満行者は「北嶺大先達大行満大阿闍梨」と称される。

「千日」と言われるが実際に歩む日数は「975日」である。「悟りを得るためではなく、悟りに近づくために課していただく[1]」ことを理解するための行である。

行者の服装(1954年7月発行の国際文化情報社「国際文化画報」より)

この行に入るためには、先達から受戒を受けて作法と所作を学んだのちに、「初百日満行」入り、その後7年の間、1 – 3年目は1年間に連続100日、4 – 5年目は1年間に連続200日、行を為す。

無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発する。真言を唱えながら東塔西塔横川日吉大社と260箇所で礼拝しながら、約30kmを平均6時間で巡拝する。

途中で行を続けられなくなったときは自害する。そのための「死出紐」と、降魔の剣(短剣)、三途の川の渡り賃である六文銭、埋葬料10万円を常時携行する。

未開の蓮華の葉をかたどったをかぶり、白装束草鞋履きで行う。

堂入り

無動寺明王堂

5年700日を満行すると、最も過酷とされる「堂入り」が行われる。

行者は入堂前に生前葬となる「生き葬式」を執り行い、無動寺明王堂で足かけ9日かけて断食・断水・断眠・断臥の4無行に入る。堂入り中は明王堂に五色の幔幕が張られ、行者は不動明王真言を唱え続ける。毎晩、深夜2時に堂を出て、近くの閼伽井で閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供えなければならない。水を汲みに出る以外は、堂中で10万回真言を唱え続ける

堂入りを満了して「堂さがり」すると、行者は生身の不動明王ともいわれる阿闍梨となり、信者達の合掌で迎えられる。これを機に行者は自分のための自利行から、衆生救済の利他行に入る。

6年目はこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60kmの行程を100日続ける。

7年目は200日行い、はじめの100日は全行程84kmの京都大回りで、後半100日は比叡山中30kmの行程に戻る。